親鸞聖人(しんらんしょうにん) 1173-1262
京都生まれ。9歳で得度(僧侶になること)、 以来ずっと比叡山で修行、 しかし煩悩を断ち切ることができず苦悶されたらしい。 (比叡山でどのような生活を送っていたかは まだ詳細には解明されていない。 「念仏三昧堂」で修行されていた、とも。 白いえりまきは「千日回峯行」満行のあかし、とも。) 29歳のとき比叡山を下り、法然上人のもとへ。 それからお念仏の教えをよろこばれる。(^_^) 35歳のとき朝廷から「念仏停止(ちょうじ)」の令、 越後(新潟県)に「流罪(るざい)」になる。 その後ゆるされるも京都へは帰らず関東へ。
現在の茨城県周辺で『教行信証』の執筆を開始。 やがて京都へ帰り、『教行信証』完成。 (直筆は「坂東本(ばんどうぼん)」と呼ばれている。現存。) 『和讃』なども執筆。お手紙も多数。
90歳でご往生。 (現在の「角坊(すみのぼう)別院」の地にて、とされる)
歴史の表舞台にまったく登場せず史実極めて僅少。 そのため過去には 「実在しなかった?」という説まで出た。 しかし奥さん(恵信尼)が末娘(覚信尼)に宛てた手紙が その後で見つかり、そのなかに登場していたため、 現在は実在で確定している。
「悪人正機(あくにんしょうき)」 「肉食妻帯(にくじきさいたい)」 「神祇不拝(じんぎふはい)」 「非僧非俗(ひそうひぞく)」は殊に有名。 |