蓮如上人(れんにょしょうにん) 1415-1499
本願寺の第八代。「中興の祖」とも言われる。 「側室」の子であったらしく、 「お家騒動」みたいなことを経て後継が確定。 勢力が拡大しつつあった頃に 本願寺を比叡山から思いっきり焼き討ちされ、 本拠地を転々とし、吉崎に移る。 吉崎御坊は非常にさかえたらしい。
その後、 現在の大阪城の場所に石山本願寺を築き、 大阪が繁栄する礎となる。 京都山科にも相当な規模の本願寺を構える。
『教行信証』も『歎異抄』も非常によく読んだらしい。 (しかし『歎異抄』は誤読の危険を感じ 門外不出扱いにしてしまった。) それらのエッセンスを『御文章(ごぶんしょう)』 として執筆(『お文(おふみ)』が本来の呼び方)。 伝道教化につとめる。
親鸞聖人の著述の中から 『教行信証』の中にあった偈頌(げじゅ・定型詩)である 『正信偈(しょうしんげ)』を抽出、 それと『和讃』とお念仏を組み合わせ、出版。 毎朝みんなで集まっておつとめする形式を確定。 (真宗のお寺やご門徒さんは 現在もことあるごとにコレをおつとめしています。)
六字のお名号「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」を 非常に重視・心からありがたく思われ、 いろいろな人に書いてあげた。 今もいろいろなところにたくさんたくさん残っている。 妙法寺にはありませんけど‥‥。(^_^;)
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